吉田 修 教授

吉田 修 教授・総合経営学科長
西洋哲学
- ヨシダ オサム
- 現代における批判的認識論の可能性、および形而上学の可能性の研究。
京都大学大学院 文学研究科 博士課程単位取得。
“哲学っておもしろいでしょう”といいながら、やわらかい語り口で話す吉田教授。どんどん話の幅が広がっていきます。プライベートは本を読む以外に、庭作りや土いじり、駐車場を作るなど体を動かすことも好きだとか。体が動くと思考も動くので、健康な体でなければならないという吉田先生のお話は、すべてが哲学的な考えに基づいているのでとても説得力があります。お話を伺っているうちに、つい哲学の世界に引き込まれてしまいました。
- 哲学とはどういう学問ですか?
- もともと理系で物理や化学が好きだったのですが、当時は悩み多き青年でしたからいろんなことを模索していたんでしょうね。そんなときに出合ったのが哲学です。なぜ生きているのか、愛って何だろうとか、普段何も疑問に思わないことを疑問に思うところから哲学は始まります。専門ゼミでは“経営哲学"を教えていますが、“経営を哲学する"というのと、“経営の哲学"とは多少違います。“経営を哲学する"というのは、たとえば経営の常識を疑ってみるような考え方、経営を外からアプローチして掘り下げていくこと。また、“経営の哲学"は経営を実際に生きている人の哲学・思想を学ぶことです。目からウロコのような体験を持っている人の話を聞くとか、実際に経営をしている人の話を聞いて研究するような場合です。ゼミ生には両面から経営哲学を指導していますが、どちらかというと“経営の哲学"の比重が大きいと思います。
- 先生のご専門であるカントの哲学についてお聞きしたいのですが?
- カントの哲学は、例えば神を認識するというのはどういうことか、という“認識論"です。人間が認識するということ自体有限であること。神が無限であるならば、神の認識を論ずることは不可能であると説いたのです。しかし、実際はカントが認識論を始めたのは、神を救いたかったからです。その後ヘーゲルが出て、自然現象の世界をも含む神的精神の世界を説いたのです。私が専門としている形而上学というのは、不変のものを求める、つまり極めて精神的な世界の学問のことです。神もそうですが、モノの存在を超えた世界とはなにか、存在を超えた存在とはどういうことか、そんなことを考えていると楽しくてしょうがないですよ。
- なんだか難しいけどおもしろそうですね。では哲学の目的とは何ですか?
- 考え方の限界をうち破っていくのが哲学です。ですからものすごくいろんな可能性があります。空想論とか無駄な学問などといわれがちですが、結論ではなく求める過程が重要な学問です。その土台になるのはやはり"考えること"。それがいかに自分にとって有効であるか、またトータルに自分の人生を再構築し直す手段であるということに気がつくことが重要です。今、多くの人はとても流されやすい状況にあります。ですからみんなどこかで、一度人生を再構築すべきです。人は、例えば肉体が老化するとうろたえ、自分というのがなくなってしまいがち。自分というのはいったい何か。そう考えると肉体よりも自分の考えや生き方が重要になってきます。
- 自分について見つめ直すためには、哲学的な考え方が必要というわけですね。
- 近代人、現代人はよく“デラシネ”、つまり根無し草といわれます。昔は国のため、神のために人が存在するという考え方が常識でした。しかし今は、自分は何のために存在するのかがわからなくなっています。学生たちにも経営を学びながら、一方では人生についてもよく考えて欲しいですね。たとえば経営者になると特別な存在になったような気になり、まわりが見えなくなる人がいます。社員も経営者も肩書き以前に“人間"です。ですから経営環境学科においては、トータルな知識を自分の中で構築し直す哲学的な学びが非常に役に立つと自負しています。
- 最後に学生へのメッセージをお願いします。
- とかく今の人たちはハウツーに頼りがちで、ゼロから物事を考えられなくなっています。まず、生きるということを基本に学問を行い、必要な知識をプラスするという考え方に立ち返ってもらいたい。なんでも柔軟な思考で考えることが必要です。経営学の基礎は十分押さえつつ、幅広い知識をもって人間性を高めて欲しいですね。

