小川 清一 教授

小川 清一 教授
スペースデザイン

ナゴヤドーム
- オガワ セイイチ
- 芝浦工業大学建築学科卒。(株)竹中工務店設計部(東京-大阪-名古屋)。1994年おはらい街おかげ横丁、1995年トヨタ産業技術記念館、1998年ナゴヤドームの各設計。2001年第4回板金時計展。
研究室に入ると、廃材を利用した先生自作の時計やモビールが飾られていました。「殺風景なんで」とおっしゃいながら、その出来映えには満足のご様子。「何だってアートになるんですよ。例えば農業だって、自然の動きを読みながらおいしく美しい作物という作品をつくる。地球といっしょに作品づくりができるのがアースアートの魅力ですね」ユニークなお話にひかれていつも多くの学生たちが集まってくるという小川教授に、人が集うスペースデザインについてのお話をうかがいました。どのようなご経緯でデザイナーの道に進まれたのですか?
- 先生の研究テーマの“コモンスペース"とは、どういう場所なんですか。
- コモンとは、辞書で引くと「共通の」とか「共有の」という意味が載っています。建築の世界で言うと、みんなが使える共有の場所。所有者によって管理されているのではなく、あらゆる人が集い、憩い、語り合い、自然発生的に様々な“コト”が生まれる場所のことを表します。中学や高校の歴史で習った古代ギリシャの“アゴラ”というのを覚えているでしょうか。これはギリシャ市民が自由に集まり、時には討論する中で哲学が生まれたりした広場のこと。市民が主役となってギリシャ文化を生み、育てた舞台ともなっていました。日本でもかつては自然に対する信仰心、生活への安全を願う気持ちから生まれたお祭りを中心にして、街造りがなされていました。お寺の境内や参道、路地裏など、一年を通して住民たちが三々五々集まり、自由に過ごせる共有スペースがあったのです。
- 現在、そういう場所がなくなってきていますね。
- 街の活性化という意味でも、コモンスペースの消失は大きな痛手となっています。例えば、岡崎市の中心地には公園はあるけど、人が集い、自然発生的に何かを催し、新しい文化を育てるといったスペースはなくなってしまいました。逆に、郊外に大型のショッピングセンターが生まれ、ショッピングモールがある意味コモンスペース的な役割を果たした結果、中心地から人がつくり出す賑わいが消え、街の原動力が失われつつあります。街の中で様々な刺激を受けながら、いかに楽しく暮らすことができるか。行政側から言えば、街がどんな楽しさを創出することができるか。そのためにコモンスペースの果たす役割は大きいものがあると考えています。
- 先生はかつて企業で様々な物件の設計に携わっていらっしゃいましたね。
- (株)竹中工務店で数多くの設計を行い、様々な案件を完成させてきました。ホテルや百貨店、美術館、この辺りで言えばナゴヤヒルトンホテル、伊勢おはらい街おかげ横丁やトヨタ産業記念館、ナゴヤドームなども私が設計者として関わったものです。共通しているのは、人が集うことができ、様々な“コト”を起こすことができる場づくりであったこと。まさにいま追究しているコモンスペースづくりに通じるものです。その建物や場ができることで街に活力が生まれ、新しい文化が芽生える。例えば、おかげ横丁では伊勢の魅力を十二分に伝えるために何が必要なのかを地元の方々と徹底的に語り合い、単に設計というだけではなく、面として街の再生を行った結果、大勢の方々が行き交い、祭りや寄席が催されるなど新しい動きが見え始めています。但し、かなしいかな、全てオーナーが企業人であることです。市民の環がオーナーになると最高です。
- 企業での活動や研究を通して培ってきた先生の考えを、学生たちにはどのように伝えていらっしゃるのですか。
- デザイン学科の学生たちには設計者というより、ものをつくる人間として身につけてほしいことをまず教えています。例えば自己表現できる世界を早く持ってほしい。自分自身で見つけられなかったら、様々な人と出会うことで様々な個性を知り、そこから何かをつかみ取ってもいい。表現者としての基本がここにあると思います。また、“暮らす”という土台を知らなければ、人のため、社会のために何が必要かもわからない。「子供を必ず生んで育てろ」と言っています。育児を経験することで社会にいま何が足りないかが見えてくる。自分が家族を持ち、生活することから見えてくる楽しさや厳しさもあるわけです。その上で、日本だけじゃなく世界を視野に入れて活躍しろとはっぱをかけています。私が高度成長期の日本で仕事の舞台を見つけたように、これから発展する国では活躍の場がいくらでも待っていると思いますからね。


